―― 嬉しい時、悲しい時も 迷わず飛んでゆくから

                抱きしめて 受け止めて 笑顔を見せて欲しいの・・・・














Brand New Breeze















星奏学院には廊下を走らないという校則はない。

というか、別にわざわざ言うまでもないだろうというだけでないのだが、あったとしても思い切り無視している少女が一人。

放課後の星奏学院の廊下を器用に人を避けながら少女は走っていく。

音楽科校舎には珍しい普通科の制服だが、最近は彼女の姿に振り返る生徒は少なくなった。

なぜなら、最近終わったばかりの学内コンクール期間中に彼女の姿はすっかりおなじみになっていたからだ。

普通科の制服に背中に担いだヴァイオリンケース。

赤みがかった髪を風に遊ばせて走っていく姿は、もはやわざわざ振り返るまでもなく彼らにとっては普通の光景になっている。

が、しかし今日の彼女の様子は少し違うようだ。

いつもは慌ただしそうにきょろきょろしていたり、あーでもない、こーでもないと考えている雰囲気だったりするのに、今日は一直線。

ぎゅっと口を引き結んで走っていく。

その姿を遠目から見つけた冬海はちょっと首を傾げた。

「・・・・先輩?」

「笙子ちゃん、どうしたの・・・・って、あれ、日野先輩じゃない。」

立ち止まった冬海に問いかけてきた友人が冬海の視線を辿って香穂子に行き着いたのか、そう呟く。

「日野先輩、相変わらず走ってるね。」

呆れたというより何か微笑ましささえ感じさせる友人の言葉に、冬海は少し考えてから頷いた。

「うん。探してる、みたい。」

「?探してる?」

きょとんっとする友人に冬海は少し微笑んだ。

冬海やコンクール参加者しか知らない事だけれど、香穂子が走っている時にはいつも探していた。

他の生徒には見えない音楽の妖精達を。

元気よく走りまわりながら彼らから楽譜をもらったり、解釈を教えてもらったりしている香穂子の姿は冬海にとっては憧れだった。

そうして走っていく香穂子をいつも見ているうちに気がついた。

コンクールが進むに連れて、香穂子がファータ以外の理由でも走っている事がある事に。

そう ―― 『誰か』を探して。

「きっと、今日もすぐに見つかるわ。」

一直線に真っ直ぐに。

きっと香穂子は探している『あの人』の元へたどり着くだろう。

「あ!ひょっとしてヴァイオリンロマンスの?」

思いの外勘の良い友人がそう言って目を輝かせるのを見て、冬海は小さく首を振った。

「ううん。ヴァイオリンロマンスだからじゃない。先輩だから、必ず見つけられるんだと思う。」

「わ〜、なんかそれって・・・・ヴァイオリンロマンスよりロマンチックだねえ。」

うっとり、とでも擬音のつきそうな友人の口調に冬海も笑って頷いた。

ふと見れば香穂子の背中はもう見えなくなっていた。

見えなくなったその背中を見送って冬海は思う。

特別なロマンスなんかじゃなくったって、香穂子はきっと『あの人』の元へたどりつけるだろう。

それはいつだって香穂子の中に『あの人』がいるから。

・・・・ほんのちょっぴりだけ、それが羨ましいと思うのは大好きな先輩を取られてしまった気がするからだろうかと思いながら、冬海は笑った。

















走る、走る。

背中のヴァイオリンケースだけ気を付けて、後はとにかく前へ。

探しているのはたった一人の姿だけで、それ以外は今は目に入らない。

こんな時に人にぶつからずに走れるのはコンクール中にファータ探しで鍛えていた成果なのかな、と頭の片隅で思ったけれど、そんな事は直ぐに消えてしまって。

ただ、探して走る。

胸の中に一杯に溜まったこの感情をこぼれ落ちる前にあの人の所へたどり着かなくちゃって、それだけ考えて。

(この時間ならきっと・・・・!)

香穂子は最後の一息とばかりに、ぎゅっと唇を噛んで勢いよく音楽科校舎を飛び出した。











                        森の広場へ (土浦編)



                         校門前へ (火原編)